仁木悦子

1928年3月7日、東京生まれ。病弱で学校へは行かず。1986年11月23日死亡。 本名、大井三重子。


猫は知っていた
講談社文庫 (1975.1.15)・・・講談社 (1957.11)

仁木雄太郎、悦子の兄妹は、外科の箱崎医院の二階を借り、 そこから大学へと通うことになった。 雄太郎は植物学を、悦子は音楽を専攻しており、幸子が医院の娘さんである 幸子にピアノを教えることで、屋賃を半額にしてもらうことになっていた。 部屋をみてすぐ引っ越してきたかったが、いろいろ準備があって一週間後になった。 箱崎家族は、院長である兼彦、その妻の敏枝、彼女の母親の桑田ちえ、 兼彦と敏枝の子供の、長男英一、長女幸子、彼らの従姉妹の桑田ユリだった。 次男の敬二は家を出ているらしい。 そしてお手伝いさんのカヨがこれらの家族とともに、病院のはなれに住んでいる。 また、看護士は家永、人見、野田の3人、そして入院患者であった。 ところが、腕も良く、近所の評判も高いこの箱崎医院へ仁木兄妹が 引っ越してきた次の日、失踪事件、そして殺人事件が発生した。 仁木兄妹は、好奇心から事件を追う・・・



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