岡嶋二人

徳山諄一井上泉の合作ペンネーム。


99%の誘拐
徳間書店 (1988.10.31)

昭和51年1月15日、大手カメラメーカー・リカードの半導体機器開発事業部長の 生駒洋一郎が、胃がんのために亡くなった。 彼は死の直前、1ヵ月ほどかけて大学ノート三冊になる文章を書き残していた。 それは、昭和43年9月9日に発生した、当時6歳だった彼の息子慎吾の 誘拐事件についての詳細な記録であった。 この誘拐事件では、犯人に5000万円を渡すことによって、いや、正確には 5000万円分の金の延べ板を渡すことによって、慎吾が解放された。
誘拐事件から約19年後、そして生駒洋一郎の死からも11年半経った昭和62年7月17日、 広島県福山市の沖合で、金の延べ板を引き揚げようとして一人の男が溺れ死んだ。 その男が、定年前にはリカードの総務部総務課長をやっていたことから、 この事件をマスコミが取り上げ、生駒慎吾は父の書いたノートを読み返す きっかけになった。 そして慎吾は、新たな計画を始めた・・・


クリスマス・イヴ
中央公論社 (1989.6.10)

男女それぞれ三人ずつでクリスマスパーティーをやるから来ないかと 喬二に誘われ、光瀬敦子は雪の積もる山の中の別送へと向かっていた。 麓までは20キロメートル以上あるという。 ところが、行く途中によく話を聞いてみると、他のメンバーは 一組の夫婦と、婚約したばかりのカップルだという。 騙された!と怒りながら到着してみると、別送は真っ暗だった。 喬二によれば、毎年最後に到着する者をおどかすというイタズラ趣味の あるメンバーだということで、おそるおそる入り口から入ってみた。 すると、部屋は目茶苦茶に荒らされ、そして・・・


クラインの壺
新潮社 (1989.10.25)

僕、上杉彰彦は、あるゲームの原作を書き、応募した。 その賞には、応募規定に違反していたため最初から審査の対象外に なってしまったが、それを横から見ていたというイプシロン・プロジェクト という会社が、是非ゲームにさせて欲しいと言ってきたため、僕は契約した。 そして、そのゲームの最初のテスターとなることになった。 それは、究極の仮想現実を実現したものであり、そのゲーム機(K2: クラインの壺)に入ると、全く別の世界に送り込まれたような感覚になる、 超未来感覚のゲームであった。 そのテスターには、僕と一緒に、アルバイトの高石梨沙という、非常に 僕好みの女の子がやることになっていた。 そして、企業秘密と言うことで、そのゲーム試作機のあるところまで、 フロントグラスを除く全ての窓がミラー加工されていて、外の様子が全く 見えない車で連れて行かれるのであった。 最初のうちは、いくつか問題が出てきたものの、割と順調にテストが 進んでいるように見えた。ところが・・・



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