篠田節子

1955年、東京生まれ。東京学芸大学卒業。


絹の変容
集英社文庫 (1993.8.25)・・・集英社 (1991.1)

八王子の株式会社長谷包帯工業社長の長谷康貴は、ある日、 レーザーディスクのような虹色の光を漂わせる絹布を見つけた。 その出どころを求め、祖母の故郷である山梨県の小さな社の 山繭を集め、持ち帰った。 優秀なバイオ研究者である有田芳乃の協力を得て、この蚕を 繁殖させることに成功した。 さらに地元の成功者である若手経営者の大野協力を得て、 量産の見込みをたて、大成功を収めたかにみえた・・・


贋作師
講談社文庫 (1996.1.15)・・・講談社ノベルズ (1991)

美大時代の同級生、阿佐村慧。 彼と栗本成美とは、ほとんど拘わりはなかったが、互いにほぼ同じものを持っていた。 模写では他人に負けないものを持っている。 しかも、慧の方が成美よりも技術は上であった。 そんな慧は、卒業を数ヵ月後に控えたある日、大学を退学し、日本洋画界の大御所、 高岡荘三郎の元へと弟子入りして行った。 成美はその後、絵画の修復家として信用を勝ち得つつあった。
そんなある日、高岡荘三郎の死が伝わった。そして、彼の遺産の絵の修復を、 成美にまかせるという遺書が残っていた・・・


アクアリウム
スコラ (1993.3.8)

真面目な公務員の長谷川正人は、奥多摩の懐深く入った山の中の地底湖にひかれ、 潜るようになった。 それを友人の純一に話したところ、興味を持つはずないと思っていた彼が 興味を持ったようで、早速次の週末にも行って来ると言う。 彼によると、巨大な魚がおり、今度はしとめて来ると言う。 ところが、その彼が地底湖の中で水死したらしい・・・


神鳥
集英社 (1993.8)

イラストレータの谷口葉子は、美少年を描いてデビューし、以来ずっと その系統の仕事をこなしてきていた。しかし最近、その限界を感じつつある。 そんな葉子に、「朱鷺飛来図」という明治初期の画家、河野珠枝の作品を イラストにして欲しいという依頼がきた。 依頼主は、ハイパーバイオレンスの流行作家の美鈴慶一郎だった。 葉子は、絵画展のカタログにある「朱鷺飛来図」を見ながら、この画家は 世間で言われているほど平凡ではないと感じていた・・・


夏の災厄
毎日新聞社 (1995.3.10)

埼玉県昭川市保健センターの夜間救急診療所の看護婦の堂元房代は、 ある日やってきた初老の男性に、少し違和感を持った。 眩しそうにしており、いい匂いがすると訴えていた。 次の日、三十過ぎの女性がやって来て、同じように幻の匂いをかいでいた。 その頃、町の医者である鵜川の所にも、やはりまぶしがり、ありもしない 香水の匂いがするという患者がいた。 彼らはそれぞれ、市内で唯一設備の整った富士病院や、隣市の昭留相互病院へと 送られた。 その翌日、やはり同じような患者が、市内の若葉台クリニックに来ていた。 少し違和感を感じていた房代は、富士病院へ問い合わせをしたが、門前払いをされた。 市役所保健センターの小西誠は、房代を含む看護婦達を管理する立場にあったが、 房代から相談を受けたが、役人の一人としては何も出来なかった。 これらの患者はすべて、市の西部の「窪山町」の人であった。 異常を感じた彼らは、それぞれの立場で動き始めた・・・


死神
実業之日本社 (1996.1.25)
forgot to write...


女たちのジハード
集英社 (1997.1.30)

損害保険会社のOL五人、みどり、康子、沙織、リサ、紀子。 何となく今のOL生活に嫌気を感じつつ、何か新しいものを掴み取ろうと、 彼女達の戦いは続く。


斎藤家の核弾頭
朝日新聞社 (1997.4.1)

コンピュータに最高裁判事という職を奪われ、37歳にして年金生活に入っている 特A級市民の斎藤総一朗は、東京旧文京区弥生町にある我が家をも追い出され、 東京ベイシティへと連れてこられてしまった。 さらにそのベイシティをも追い出されようとした彼は、日本国家に対して 抵抗運動を始める・・・


ハルモニア
マガジンハウス (1998.1.1)

チェロの奏者である東野秀行は、富士見高原にある「泉の里」で 臨時の指導員として通っている。 精神障害者のための社会復帰施設であるが、実際の指導をするのではなく、 臨床心理士の行なう音楽療法の補助としてチェロを弾いて聞かせている。 二週間前、この施設の臨床心理士である深谷規子に、朝羽由希という女性を、 指導してくれないかと頼まれていた。 東野自身は断わったつもりでいたのだが、彼女は再びたたみかけられた。 彼女が言うには、由希は、音楽の天才であると言う。 脳に障害をおったのを補うように、優れた聴覚が身についているのだと言う・・・


弥勒
講談社 (1998.9.20)

地方の美術館を止め、東京の新聞社の事業部で働く永岡英彰。 5年前に仏教美術展調査のために出張したパスキム王国で見た、 ヒンドゥー教とチベット密教が混淆した、俗に「パスキム仏教」と呼ばれるものの 工芸品を櫛として妻が飾っているのを見て驚いた。 パスキムは、こうした工芸品を初め文化的なものの国外への持ち出しを、 厳しく禁じていたのだ。 その出どころをたどっていくと、パスキムで世話になり、パスキム人の妻を 持った桧渡にたどりついた。 彼の話によると、パスキム解放戦線が暴動を起こし、外国人は 強制退去になったという・・・


妖櫻忌
角川書店 (2001.11.30)

大作家、大原鳳月が、最近注目を集めていた若手演出家と共に自宅の茶室で 発生した火事で焼け死んだ。 彼女の担当をしていた堀口の元に、鳳月の弟子である若桑律子が自分の原稿を 持ちこんで来たのは、それから10日後の事であった・・・


ロズウェルなんか知らない
講談社 (2005.7.10)

新幹線の駅から車で1時間の田舎町、駒木野。 そこの青年クラブの会員であり、母と一緒に旅館をやっている太田靖夫は、 成年クラブの仲間と共に、何とか町に観光客を呼び込もうとして、 「日本の四次元地帯」を売りにしていろいろと画策し始めた・・・



戻る