有栖川有栖

1959年4月26日、大阪市生まれ。同志社大学法学部在学中に推理小説研究会に所属。 本名、上原正英。


月光ゲーム
東京創元社 (1989.1.20)

英都大学推理小説研究会の有栖川有栖は、部長の江神二朗、先輩の望月周平、 織田光次郎とともに、矢吹山へとキャンプにやってきた。 途中で、雄林大学の男女7人、神南学院短期大学の女性3人と出会い、 着いた先では再び、雄林大学の男性3人組と出会った。 合計17人はたちまちのうちに打ち解け、楽しいときを過ごした。 そして三日目の早朝、神南学院短期大学の山崎小百合が突然姿を消し、 さらにその日、大地を揺るがす地震とともに、山が噴火した。 幸い大きな怪我をした者はいなかったが、帰り道の途中が崖崩れで塞がれ、 下山できなくなってしまった。 そして、その次の日には、雄林大学の戸田文雄が、他殺体として発見される・・・


46番目の密室
講談社ノベルズ (1992.3.5)

日本だけでなく海外にも名を知られた有名推理小説家、真壁聖一。 彼はこれまで、クリスマスイブの晩に気心の知れた友人達を招いて パーティーを続けていた。 私、有栖川有栖もその一人であったが、今年は私の友人であり 臨床犯罪学者でもある火村英生も招待を受けていた。 真壁聖一はこれまで45冊の本格物推理小説、それも密室殺人物を 書き続けていたが、今年のパーティーの席上、次の作品でこの伝統を 取り止め、『天上の推理小説』を書きたいと突然言い出した。 そしてそのパーティー最終日の晩、彼は地下の密室の中で何者かに 殺害され、暖炉の中で頭部を焼かれた状態で発見された・・・


ダリの繭
角川文庫 (1993.12.10)

ダリの熱烈な信奉者であった宝石チェーン社長が、神戸の別邸で殺された。 その死体は、フロートカプセルと呼ばれる装置の中に発見され、 彼のトレードマークであったダリ髭がなかった。 事件の真相は一体・・・



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